アニメタン

深夜アニメについて主観的に語ります。アニメのテーマ、演出、メタ考察。自作リミックス、二次創作なども公開していきます。

MADを制作時に考えている事。グリッドマン考察をはさみつつ。

 

先日、ニコニコ動画にて

第6回ANIMAAAD祭

というものが開催され、「SSSS.GRIDMAN」のMADを制作し投稿しました。

 

 

【MAD】壊れかけの街【SSSS.GRIDMAN】

 

 

 

 

 

今回のMADの説明

 

選曲の理由

同じ2018年秋アニメの

あかねさす少女」のEDテーマ、

壊れかけのRadio」(和島あみカバー)を使用しました。

 

選曲の理由は

  1. 新条アカネをテーマに作ろうとしていたため、アカネ繋がりで連想した
  2. EDのカバーアレンジが好きだったが、あまり認知されてなかった
  3. 思春期」「壊れかけ」「本当の幸せ」というワードがアカネにピッタリだと思った

こんな感じです。

 

MADテーマ 新条アカネの考察

そもそも、MADを作ろうと思ったのは、作品への愛というよりは、

自分の思うMADの世界観がこの作品だと作りやすい

と思ったからです。

イメージカットが多く、いわゆる「質アニメ」に最も近かったからです。

 

それで、なぜアカネをテーマに作ろうと思ったかというと、

SSSS.GRIDMANという作品の主人公はアカネであり、

一番の見どころは彼女の葛藤だと思っているからです。

他のキャラは正直理解できませんでした。

何を考えているかよく分からなかった。

なので私なりの解釈をして、咀嚼し、それをMADという別の形(妄想)で表現するには、この作品では彼女以外不可能でした。

 

 

新条アカネに対する私の解釈は、まずMADを見ていただきたいですが、

話の腰を折って説明してしまうと、

 

  1. 人間である。神というのは役割でしかない。
  2. 精神が未熟である。幼稚園児くらいの精神年齢。
  3. 孤独である。だが、それに気づいていない。
  4. 直情的だが、非暴力主義者である

 

1 人間である 神というのは役割でしかない

見れば分かる通り、人として葛藤があり、人の肉体を持つだけでなく、本質も人間であるということです。

TRPGゲームマスター的な神でしかなく、万物を操れるわけではないのです。

 

つまり、「好きなように街を作ってきた」という風に語られていましたがアレは誤りで、

彼女の街は常に不都合が生まれ、修正が必要になり、壊れかけつづけています

作らされているという状態です。

 

 

2 精神が未熟である 幼稚園児くらいの精神年齢

不都合に対してカッとなったり、自分が何をすればいいか分からないという、

人間性のあらわれでもあります。

子供で、我慢を知らないので、計画性もない。穢れも知らない

つまり、神であって創造主であるのに、中身は子供という状態です。

 

それは体の成熟と精神成熟にズレが生じ、心体のパワーバランスが乱れる

思春期と同じ状態だと思います。

 

 

3 孤独である だがそれに気づいていない

彼女の特質上、周りの人間は作り物でいわばNPCなので、彼女は孤独です。

しかしRPGゲームをやっていて寂しいなと思うことはない様に、

それに気づいていません

 

しかしやがて、周りの世界は飾り物行き場がないことに気づきます。

現実社会でも人は結局孤独ですが、それに気づくのは大人になってからです。

もちろん愛という選択も知ります。それから、本当の幸せとは何か考えます。

アカネもそこに考えが至ったのではないかと私は思います。

 

 

4 直情的だが 非暴力主義者である

アカネはすぐモノ(自分が作った怪獣のアンチくん含めて)にあたったり、暴力的で残酷な発言をするように見えますが、

実際は平和主義者です。

 

邪魔な人を消すという行為は、殺人のように見えて異なります。

彼女にとっては「問題の修正作業」です。

いなかったことにするので誰も悲しまないし、暴力とは異なるのです。

彼女は正気を失って響を暴力で「殺そう」としますが、その考えに至ったのは追い詰められたからで、最終的手段としてです。

それも、凶器はカッターナイフです。

当然それでは殺せませんでしたが、彼女はすっかり殺した気になって放心状態になっています。

このことからも、彼女に他人を傷つけたいという感情は無いことが分かります。

 

彼女は、自分と同じ人間に対しては、怒りを持っても常に取り繕って対応します

いや、むしろ取り繕ってる優しい姿が彼女の本当の姿のはずです。

そもそも、

あの世界が彼女の創造物である

彼女がそれを修正し続けている

ということを踏まえると、

彼女の世界の不都合への怒りは、自分への怒りと等しいです。

 

少し難しい話ですが、

自分の生んだ生命の自主的な行動(=実行結果)、

つまり「現象、生命活動、世界が動く原理それ自体」は

彼女の「」にあるもので、それに尊厳を感じているから、

その本人の前で本人に対して怒ったりはしません

それを作った自分(=ソースコード)、

行動を生み出した自分の設定への怒りを露わにするのです。

彼女が暴力をふるうのは常に自分の内側だけです。

彼女の世界は再生機です。

その設定と結果は彼女の管理する物ですが、

結果が導かれる原理、シミュレーション動作そのものは、彼女の外なのです。

 

 

以上が私のアカネの解釈です。

お気づきの通り、壊れかけのRadioの歌詞といくつかリンクしているかと思います。

これが今回のMADの原案です。

 

 

MADの核心的メインテーマ

そして、今回のMADは3分51秒~のシーンが一番最初に浮かんで、

それをやるためだけに作ったと言っても過言ではないです

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今回のMADの最大のテーマは、

 

アカネの作る世界は壊れているが何度も修復され続けてきた。

やがてそれはアカネの手を離れ始めて、本当に美しい世界を生み出そうとしている。

アカネはそれをどう思うのか。

 

というものです。

 

私はこの問い自体このシーンで表そうと思い、

この問いの答えMAD全体で表現しようと思いました。

だいたいこれで今回のMADの説明は全てです。

 

 

 

 

MADを作るときの考え方

 

3つのこだわり

私は、MADに対するこだわりが大きく3つあります。

 

  1. できるだけ元のアニメ素材を活かす。
  2. 別のイメージ・テロップはあまり使わない。核心的な表現では全力で使う。
  3. 見ている人が考える空白を作るor作らない。

 

1 元アニメの素材を活かす

まずMADの主体はアニメ作品そのもので、

そこに別の音楽を合わせて解釈を与えるのがMADの真髄だと思っています。

なので音楽以外の何か加えて解釈を変えるということはしたくありません。

原則としてアニメ構成物だけで作品を解釈します。

 

極論を言えば、アニメを部分的に切り取り、再配置するだけで別解釈を生み出すMADが至高だと思っています。

 

この考え方は、東浩紀氏の動物化するポストモダンという本を読んでいただければわかると思います。

MADとはシミュラークルであり、原作という設定やアニメの絵をデータベースとして消費する活動そのものです。

そのデータベースにないものは極力加えたくないというのは、ポストモダンオタク文化として当然の考え方かと思います

 

そのため、MAD制作で一番時間をかけるのが素材選びです。

全編を倍速で見直し、まず使えそうな部分を抜き出します。そこから使うものを比較して選びます。この作業に10時間ほどかけます。

 

 

2 別のイメージ・テロップはあまり使わない

演出として分かり易すぎるのは好きじゃないですし、

できればアニメの絵だけで感じ取れる解釈を共有したいので、

全く別の素材や極端なエフェクト、CGアニメーションを使うのは避けます。

3D空間配置もメタ感が強くなるのであまりしません。

 

演出は曲を最も意識していれます。

 

先ほど挙げた今回のグリッドマンMADの3分51秒~メインシーンは、こだわりがあったのでかなりCGを入れ込みました。

 

歌詞テロップは入れたい気持ちはあるのですが、

そこに目が行くとアニメの絵に集中できなかったりするので、どうしても欲しいところにいれます。

 

 

3 空白を入れる

一つは時間的空白、もう一つは画面的空白、そして解釈的空白です。

 

構成をするとき素材は山ほどあるので、カットはいくらでも作れるのですが、

かなりテンポを意識して意図的に間延びさせたりします。

長いブラックアウトは避けますが、できれば3秒くらい使いたいです。

 

画面も情報量が多いものと少ないものを意識して使い分けます。

動きだったり、静止画だったり、まぶしかったり暗かったり、緩急が大事だと思ってます。

 

解釈的空白は、

基本的には歌詞とリンクしていたり分かりやすいカットを選びますが、

たまに「何故この絵をここで出したのか?」というような抽象的カットも入れます。

人によって解釈が分かれたりするのも面白いと思うからです。

自分でも何となく選んだシーンから発見が生まれる時があります。

 

またこれら空白をあえて作らないことも、MADのテーマによってはあります。

音やリズムを重視したPV風MADではカットをいかに見せずに印象として受け取ってもらえるか考えます。

 

 

こんな感じで制作しています。

いずれこれとは正反対の、超演出型MADを作ってみようと思います。

見て何か解釈を受け取るというより、作品愛にあふれた、視覚的に楽しいMADにも挑戦してみたいと思っているからです。